これからの国産材利用、つまり令和の国産材利用を考えてみようと思った時に、まずは平成を改めて振り返ってみたくなった。
私がこの業界に入った平成11年(1999年)以降の木材業界の変遷を思い出してみたい。
平成11年(1999)〜「史上最低の自給率とその弊害」
木材自給率を見ると、H11では20.0%、この3年後のH14では史上最低の18.8%になっており、まさに国産材が衰退の一途を辿っていた時期だった。
世の中はIT革命と呼ばれ、FAXからメールでのやりとりに移り変わり、ホームページ(ウェブサイト)というものが生まれ始めた。
これはある意味、従来の商慣習を大きく変化させるもので、昔からの古い馴染みを相手に商売をしていた木材業界にとっても、ネットを介して新しい取引先とつながることを模索する若い世代と、それよりも上の世代で世代交代をするきっかけでもあった。
この2つの世代は木材が儲かった黄金期を知る世代と知らない世代と分けても良い。
木材が儲かっていたことを知らない世代は、ネットという新しいツールで新しい取引先を見つけ、新たな商材を作ろうとしていた。
一方、自給率が史上最低となったこの時期、戦後の拡大造林によって植林されたスギ、ヒノキといった針葉樹が40〜50年生となり伐期に入り始めていた。
外材にシェアを奪われ活躍の場を失われたこれらの針葉樹林は、無用の長物というだけではなく、むしろデメリットを露呈し始めていた。
極端に密植状態となった針葉樹林は太くならずにただ上へと伸びていく。
結果、風が吹けば倒れ、大雨が降れば土砂崩れを起こすようになり始めた。
行政はそれを放っておくわけにはいかない。
これを打開するためには「間伐」を推奨し、山に立っている木材の本数を減らさなければいけない。
間伐作業に補助金をつけることはもちろん、間伐材製品に補助金をつけたり、間伐材の新たな使い方を模索した。
「間伐材を使用しています」と看板が入ったベンチなどが出来始めたのもこの頃であるが、「間伐材=細くて使い道のない木材」という少々間違った認識が国民に広がったのもこの時期だろう。
しかし、間伐材製品ですでに飽和状態にある針葉樹林を改善させることは到底無理なので、林業現場では「切り捨て間伐」というものが奨励されるようになった。
私の感覚ではそれ以前には切り捨て間伐というものはあまり馴染みがなかったように思う。
これには地域差もあるかもしれないが、祖父や親父の世代ではたとえ細くても伐った木材は基本、全て搬出していたはずだが、捨ててでも山の木を減らさなければいけない事態になったというわけだ。
ネットの普及による新しい商流と商品、針葉樹林の飽和状態、史上最低の国産材自給率。
これらの条件が重なって、とにかく国産材を使わなければならないという新しい国産材時代が幕を開けた。
平成17年(2005)〜「外材から国産材へ」
前述の背景から、この時期はまさに「国産材vs外材」の時代となった。
「安い外材のせいで国産材が売れない」とまるで呪いのような言葉が業界内では唱え続けられ、そのエコーはいまだに続いているが、外材が悪いばかりではなかった。
そもそもこの時期以前の製材品(建築用材)というものは「未乾燥・未仕上げ材」が主流であったが、外材に比べ品質が悪かった。
プレカットも普及してきた中で製材品には「乾燥、モルダー(プレナー)仕上げ」という高い品質精度が求められ、全国に木材乾燥機などの機械が徐々に普及し始めた時期でもあったように思う。
すでに体力を失いかけていた木材業界の小規模零細企業にとって、それらの機械の導入はすんなりと受け入れられるものではなかったが、それを大きく変えたのは姉歯事件に端を発した建築基準法の改正であったと思う。
2005年に起きた姉歯事件によって、高層ビルの構造計算を偽造したことで世の中に建築不安が起こった。
私は姉歯氏のみが悪いとは思わないが、この頃、「欠陥住宅」「手抜き工事」という言葉もよく聞かれたことから、2007年の建築基準法の改正により、建築のスペックが大幅に上がった。
これに対し、製材業界では「乾燥、モルダー仕上げ」の必要性が高まり、機械導入が進んでいった。
また業界としてはフードマイレージを模したウッドマイレージ(マイルズ)などの指標や国際的な森林認証(FSC®️)、または各種展示会等でも段々と国産材が意識されることになっていった。
こういった中で外材に奪われたシェアを少しずつ押し戻すことになっていき、万博などの大きな催事等でも国産材が使われるようになっていった。
平成19年(2007)〜「産地間競争」
木材自給率が23%になったこの年、岐阜県では「岐阜証明材推進制度」がスタートした。
他県でもこれに前後して同様の制度が創設され、県産材という新しい概念が広まっていった。
岐阜県内の木材業界ではそれまで主にヒノキの柱や役物の利用促進に力を入れてきたが、横架材としてのスギ材にも着目することになり、すでに生産が始まっていた九州材に倣った高温乾燥材などの生産に力を入れ始めた。
またそれに伴い、県としても岐阜証明材を使用した家づくりに補助金を出すなどの振興策が取られるようになった。
これは逆の言い方をすれば、あくまで県内にお金が落ちる仕組みがないと県予算をつけることができなかったからであろうと思う。
ともあれこれにより「国産材vs外材」という対立軸から、「岐阜県vs〇〇県」というような産地間競争につながっていった。
平成17年2月16日に発効した京都議定書では、平成2年(1990年)の6種類の温室効果ガス総排出量を基準として、平成20年(2008年)~平成24年(2012年)の5年間に、先進国全体で少なくとも5%の削減を目指すこととされた。
それにより平成20年(2008)にはカーボンオフセットの日本規格「J-VER」が始まるなど、世の中の環境配慮に対する機運も高まりつつあった。
この時期はCSR(企業の社会的責任)という言葉もよく用いられた時期でもあった。
企業ではないが、東京都港区が全国の協定自治体の木材の利用促進を奨励した「みなとモデル」もこういった文脈にあったと思う。
みなとモデルの功績は、単に木材を使ったという事だけにとどまらず、それまで木材を使用するノウハウをほとんど持っていなかったスーパーゼネコンをはじめとした日本の建設会社に新たなマテリアルとして木材という選択肢を与えた事であると私は思っている。
とにかく、一見木材とは全く関係のない企業や自治体、市民が社会的責任という概念のもと、国産材の利用促進に手を挙げてくれたことは国産材に大いに追い風となった。
平成22年(2010)〜「スペック競争」
一般住宅への国産材利用振興策が取られ始める一方、公共建築物にも木材を使用する機運が高まってきた。
平成22年には「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」を林野庁が作り、低層の公共建築物で木造化が可能なものに努力義務が課せられた。
しかし当初はなかなか公共建築物での木材利用は進まなかった。
というのも公共建築物で必要となる日本農林規格(JAS)に対応した国産材製品が多くなかったからだろう。
JASは費用や手間、管理がかかるため小規模零細が多い木材業界ではなかなか対応しきれないでいた。
そのため岐阜県では「ぎふ性能表示材認証制度」という新たな制度を作り、低負担でJAS同等の製品作りを行うように促した結果、含水率、ヤング係数の表示を行う仕組みがある程度定着したからか、現在では岐阜県はJAS工場数では1位となっている。
JAS製品の普及、もともとJAS製品であった合板や集成材の国産材化、不燃材難燃技術の発達などと相まって、ようやく公共建築や大型施設への木材利用が進み始めた。
木材が一般資材としてのある程度高いスペックを持ち始めるようになり、社会としても環境配慮の機運が高まったいた時期であったが、2011年の東日本大震災はそんな風潮に少なからず冷や水を浴びせることになった。
東北地方を中心とした直接的被害や原発事故等による将来的な不安は、企業や自治体のCSRを行うという精神的な余裕を失わせ、経済的にも他の資材に比べてまだまだ割高感のあった木材の使用を多少遠ざけたかもしれない。
平成26年(2014)〜「平成の木材利用」
東日本大震災によって木材産業を含め一旦は日本全体の経済や生活が暗闇に落とされたようなものであったが、それまでに蓄積されてきたマテリアルとしての国産材の利用価値は着実に伸び、平成26年にはついに自給率30%を超え、平成29年には36.2%となった。
平成30年度の国の建築物85棟のうち、90%超にあたる77棟で木造が実現したことはそれほど脚光を浴びてはいないが、林野庁の功績であったと思うし、各種業界団体の努力であったとも思う。
材積比較では最も自給率の低かった平成14年が1,692万m3に対し、平成29年には2,966万m3となり、1.75倍となった。
もちろんこの数字には燃料用木材も入っているが、平成前期に起こった国産材が使われないことの弊害に端を発した「とにもかくにも山にある木材を伐って使わなくてはいけない」という目的にはかなっているのだと思うし、そのために木材を山に捨て、あるいは燃やし、あるいは「使えるマテリアル」として発展させた。
それが「平成の国産材利用」であったと思う。
令和元年(2019)〜「令和の国産材利用とその妄想」
令和に「SDGs」という言葉がいきなり広まり、街では多くのサラリーマンのジャケットにSDGsバッチを見るようになった。
SDGsの良かったのは、今まで様々な人、様々な業種がそれぞれに取り組んでいた「何かに良いこと」を一つのテーブルの上に挙げてしまったことで、お互いに認識できるようになったことだと思っている。
先に紹介した平成22年の「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」は令和3年10月1日に「脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律」と名称が変わって改めて施工された(改正木促法)。
この題名にもあるように「脱炭素」という言葉が令和に入ってから盛んに使われるようになっているが、これは2015年のパリ協定で世界運動として2050年までにカーボンニュートラルを実現するという文脈からきている。
この改正木促法に伴い、各県ではそれぞれ木材利用促進条例が制定されつつある。
ちなみに私も岐阜県におけるこの条例作成に関する研究会のメンバーとなっている。
条例を新たに作るとして、その前後で何が変わるのか。
少なくとも行政側の木材利用の哲学、思想が変わるのではないかと思う。
つまり、「平成の木材利用」で書いたように、平成ではとにかく山の木を伐り、木材を利用することが目的となっていた。
しかし、これからは木材を利用することは手段となり、「脱炭素社会の実現」が大きな目標となるわけだ。
となると例えば木造一般住宅への補助金の出し方も変わってきて、今までの「木材を使ってくれてありがとう補助金」ではなく「炭素を固定してくれてありがとう補助金」に変わるかもしれない。
家を建てるお施主さんも、「木材を使ったから補助金をもらえた」ではなく「炭素を固定したから補助金をもらえた」に変わるし、もしもその炭素量に応じて補助金額が変われば、より多く木材を使おうという気持ちにもなるかもしれない。
それに伴って、市民の環境教育という厄介な課題もすんなり浸透する可能性もある。
さらに発展的な考え方をすると、これを単なる補助金ととらえず、「固定した炭素量のクレジットを行政が買い取る」というスキームが創れたとしたら、県はそのクレジットを企業に売ることも可能かもしれない。
そこで得た資金をさらに森林整備、木材活用に活かしていくことも出来るのではないか。
漫画のように、足手纏いで、どうにもならないやんちゃ坊主が、地球を救うヒーローになったとしたらこの上なく痛快だろう。
これらは岐阜県の条例とは全く関係ないし、私自身の勝手な妄想ではあるが、妄想が出来るだけの可能性がこの分野にはあると私は感じている。
※これらの考察は私が経験したことを基に作っており、人によっては違った見解お持ちの方も多々いるかと思いますことをご了承ください。
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